明日はもしかすると、人参が買えないかもしれない。
欲しい野菜があればスーパーに買いに行き
そこに「その」野菜があるのは「当たり前」なこの世の中で、
「必ずしも買えるかどうか分からない」というのは不思議なことかもしれません。
私は上勝町内でカフェをやっています。
お店で使う食材の仕入れもあって
ほとんど毎日、上勝町内の産直市「いっきゅう茶屋」に行くのですが
「あれ、昨日はたくさん出ていた◯◯が今日は1個もないっ…!」
という状況によく出くわします。

上勝町の産直市「いっきゅう茶屋」。「OPEN」の下には阿波弁で「やんりょうよ!(やってるよ!)」。
いつも同じ野菜が同じだけあるとは限らない。
この町の当たり前。
資源は有限だよ、という田舎で暮らす心得のようなものかもしれません。
(と言いつつ、お目当ての野菜がなかった時は軽くヘコみますが…泣)

いっきゅう茶屋からの風景。1,500人が暮らす山あいの町。
上勝町はとても小さな町だし
たくさん同じ野菜ができるほど畑が広くなかったり、
山間部なので畑が急斜面にあったりして農家さんは作物を育てるのが大変です。
年によっては日照りが続く夏もあれば、雨ばかりの夏もあります。
だから安定した野菜の供給は難しい。
でも、いろんな種類の野菜が出てきます。
野菜だけでなく、ハーブや乾物、味噌なども数や量は少ないけれどあります。
個人的にはこの「少量多品種」なのが面白くて。
「ここにあるもので、さぁ何つくる?」と考えることが楽しい。
何か作りたい料理があって
そのために「必要な材料を揃える」というよりも、
出ているもので何が作れるのかを考える。
なんだかこれ、「限界の中での挑戦」みたいじゃないですか?
この挑戦は日常の些細なことなので、
「挑戦している」という感覚すらないのですが
そういった毎日を繰り返しているうちにちょっと分かったことがあります。

カフェ・ポールスター。明日2018年12月15日でオープンから5年を迎えます。
ここ数年、私は「なぜ上勝町なのか」という問いを
自分の中で持ち続けてきました。
カフェを始めた当初は、自分の好きな故郷を
たくさんの人に知ってもらいたいという気持ちが強くて、
今考えれば上勝という場所、地域については深く考えていなかったように思います。
上勝でやるのは自分の中で当たり前だったから。
でも他の町がそうであるように、
自然が豊かで、美味しい野菜があるのは上勝も同じ。上勝だけが特別なわけじゃない。
上勝に移住して来た人たちは、理由はそれぞれだけど「上勝を選んで」来てる。
私の中で他の選択肢はなかったんだろうか。
上勝にこだわり、ここでカフェを、暮らしを営み続けるのはなぜかー。

11月後半になって、久しぶりに色鮮やかな人参が出ていました。「わぁ〜!人参出てる〜!」という喜びの朝。
先日、いつものように仕入れに行くと、その日はたくさんの人参が出ていました。
甘い人参。美味しい人参。
今日出ているこの人参も、明日にはもうないかもしれない。
そんなことを考えていた時にふと、
いつもは無自覚な「限界の中で挑戦している自分」を認識して。
この人参みたいに、明日は会えるか、手に入れられるかわからないような
自分ではどうしようもできない状況があって、
そんな変動が激しいことを前提として
それに合わせて自分も変化していく。
限界がある楽しみを感じました。
一期一会というか。
全て無限にある、なんでも自由にできる、わけではなく
何かと有限で、不便なところもある中でできる限りのことをする、ということ。
この感覚!
結構自分の中では重要なポイントでした。
日々の暮らしの中で些細な楽しみ、ワクワクを感じられる。
それが自分の思い出がたくさんつまった故郷にあるからこそ、
私は戻って来て暮らし、そしてその良さを他の人にも伝え、
共有したいと思っているようです。
「あぁそうか、だから上勝に居るのかも。」
上勝で暮らす理由はこれだけじゃないかもしれないけれど(模索中)、
少なくともこの感覚が今の暮らしの中では味わえている。
自分がここにいる理由の欠片が見つかって、
これまでモヤっとしていた気持ちが少し晴れた気がしました。
以上、今回は人参から考える自分の生き方・暮らし方について書いてみました。
明日は今日食べたほうれん草が欲しいんだけど、買えるかな?
買えなかったら、買えなかったで、まぁいいか。



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