上勝から、僕は新しい旅に出る

高校生の時、英語科の教員から渡された1冊の本がある。その本の名前は思い出せないが英語が共通語として世界に広がることで無くなっていく少数民族の言葉に尊さを感じた日本の青年がその村に滞在し、その村の言葉や文化を学んでいくというものであった。思春期ながらにその青年の行動力やモノの捉え方に感銘を受けたことが記憶に新しい。

 

14,375

この数字は日本の限界集落の数である。数十年後には消滅する村、町が日本にこれだけ多くある。そして、その14,375という数字の中に僕が約3年間暮らした町「上勝町」があり、僕は春にこの町を出ていくことにした。

 

 

そもそも
なぜ上勝町に来たのか

僕は大学で環境教育という分野を学んでいた。卒業論文では「地域につくられる子どもの遊び場の意義」についてまとめ、自分を形成しているキーワードは「子ども」「地域」「自然」というようなものだ。

しかし、大学4年になっても就職活動をしない能天気な僕を教授が見かねたのか、面白い地域、うってつけの仕事があると就職先を紹介してくれた。そこが上勝町で新しくできる合同会社パンゲアであった。


(上勝に訊ねてきてくれた先生とカフェ・ポールスターにて)

 

当時、先生は上勝のことをこのようにお勧めしてくれた。

上勝町には若い人たちがたくさん移住していて、その人たちが起業や様々な活動をしているからたくさんの刺激をもらえる。就職先もオープンから関われることなんてめったにないから、自分がそこでチャレンジしながら周りの人と意見交換し成長していきなさい。

僕はこの言葉に希望を抱き、限界集落、上勝町に足を踏み入れることとなったのだ。

 

 

上勝町での生活

自分の研究分野を生かせる職場と面白い人たちがたくさんいるという期待を持ち、上勝に来た僕だが現実はその期待感とは異なるものであった。

僕が当時イメージしていた地域像は「優しいお隣さんが野菜をくれる」「お洒落な飲み会が頻繁にある」「みんな友達」みたいなものだったがそんなものは最初からできるはずがなく、時間とともに生まれてくるものだ。しかし過度な期待感や先行しているイメージとの違いに勝手に落ち込み、部屋でネット世界をうろうろする日々だった。

 

時が立つとともに人との関わりが増え現在では優しいおばあちゃんのいい感じの空き家に住み、濃厚な飲み会が時々あり、変な人たちと友達になれた。全てイメージ通りだ。

 

また、僕の仕事内容は上勝を舞台に大人や子どもに体験を提供するもので、上勝の自然、文化、人と関わることは仕事にもつながることになる。この町でいいなと思ったこと、尊いと思う瞬間、町民との立ち話、何気ない相談ごとはすべて仕事への肉付けになり、それらを提供していくことに喜びを感じていた。

 

上勝での暮らしは自己、他者、生活、仕事、遊び、を包括的にとらえることができ、それらが流動的に絡み合うことで、さまざまな場所、さまざまな形で生み出されていく。生活の知恵が仕事で生き、仕事で学んだことを他者と共有するなど、住み家と仕事が分裂している都会では生まれないようなことが日常的に発生している。

 

 

そんな
上勝をなぜ、出るのか。

理由は一つ。転職だ。

 

上勝町で培った経験をもとに他の場所、別の業種でチャレンジしたくなった。嫌になったわけではないので上勝を出ることに負い目は全くなく逆に応援してくれるうちの代表をはじめ、町のみんなをもっと好きになった。さらに言うと、早く別の場所で挑戦したいぐらいだ。

上勝での僕の人脈は3歳児から90歳まで、職種で言うと飲食業、旅行業、クリエイター、デザイナー、農家、山師、大工、行政職員、etc… 経験で言うと水源から家まで水を引っ張る作業からワードプレスによる記事作成まで。これらは大手企業などに勤務している同世代よりはるかに広く濃い自身がある。

 

社会について様々見解があると思うが、内山節氏の「怯えの時代」より近代社会についての考察を一部抜粋させて頂く。

量の拡大が終焉を迎えようとしている。経済構造をみても、私たちは量の拡大がたちまち行き詰まる時代が来ることに気づいている。だが、量の拡大がもたらされない時代、あるいは縮小していく時代の生き方を私たちは知らない。そのとき、世界や社会がどう変わり、私たちがどんな形で巻き込まれていくのかを知らない。芽生えているのは怯えの時代である。

たくさん作ることで私たちは自由、平等、平和を昔よりは手に入れることができたかもしれない。だが、それらは量の拡大が前提であり、その量の拡大を基盤にするシステムの運営に振り回され手に入れたかった自由、平等、平和が壊れつつあるのではないだろうか。

 

この先の怯えの時代に向けて必要なことは適切な資源を適切な分量で適切に使うことだと考える。そのためには私たちが自然資源や社会関係資本の扱いを学ばなくてはいけない。

それらの題材は先に述べたあらゆることがらを包括的にとらえることができる田舎ないし限界集落にあるのではないだろうか。僕はたったの3年間だが、上勝町での生活にこれからの社会を創るノウハウを学んだと思っている。

 

先人たちの知恵、模索しながら上勝を良くしようとする人たちとの対話、自然資源の活用経験。これらを経験した僕は怯えの時代に腹を据えて向かっていける。上勝町に守られながら僕は社会をつくっていくのだ。

 

高校の時に読んだあの本の結末を残念ながら覚えていないので、エンディングをここで作ろうと思う。
少数民族の文化を体験したあの青年は当時の経験をもとに日本でそれはそれはおおいに活躍した。ということにしておこう。

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禰津 匡人(Masato Nedu) twitter
1992年生まれ。埼玉県出身。大学では子どもの幼少期の遊び場について研究し、卒業後合同会社パンゲアに入社。地域資源を活用した自然体験プログラムの開発、ゼロ・ウェイストをテーマとした子どもキャンプなどを担当し、2019年春に上勝町を卒業する。[/su_column][/su_row]

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