東ひとみについて。

先週は私の担当回だったのですが、コーヒーを飲みながらパソコンを開いていたら
キーボードにこぼしてしまい、最悪だ…と失意のもと書くことも止めてしまいました…。ごめんなさい!!

その時は「忙しさ」について書こうと思っていたんですが、長々しくネガティブでどうしたものかと思っていたので(つまりは適度なネタがなかったので)もしかしたらちょうどよかったのかもしれません。

で、今日書くのは私の母、東ひとみの話です。
Lacycleモールさんで連載しているコラムの9月分が来週金曜日に掲載予定なのですが、今回はお彼岸も近いということで、以前私が書いてお渡ししていた「自分の取扱説明書」について掲載しては?とご提案いただきました。
私はその中で、父と母を亡くした時に困ったことを綴っているのですが、詳細は来週のコラムを読んでいただくとして、このクラシカルには、母のことをより詳しく書いてみたいと思います。

なぜ母の話を書くのか?

まず一つには、コラムの動機同様お彼岸が近いこと。故人をゆっくり思い出しながら書いてみようと思いました。
そしてもう一つは、これまでもそしてこれからも、私にとって避けて通れない存在を、私なりに整理してまとめておこうと思ったのです。

と言いますのも、私の母東ひとみは元上勝町役場職員でございました。
そして廃棄物の担当をしていたので、上勝町が今も取り組むゼロ・ウェイスト政策を始めた時のメンバーのひとりでもありました。
そういった経緯もあり、取材していただく機会には母について聞かれることも多々あります。

カフェが建つ前の現場を確認している様子。真ん中が母です。ちなみに、母はいつもこの作業服を着ていて本人も「戦闘服」だと言っていたので、葬儀の棺にも最後一緒に入れました。

誰かが私のことを紹介してくださる時、そしてまた取材などを受ける際に言われることのベスト1位が
「東(輝実)さんのお母様はゼロ・ウェイストの立役者です。」というもの。

正直申し上げますと、娘の口から「母がゼロ・ウェイスト始めたんです。」って言うのは気が引けます。
というのも、当たり前ですが母が一人でやったわけではなく、いろんなタイミングと人の動きが合って始まったことだから、上記のように言われる度に複雑な気持ちになります。私は「そうです。」なんてよう言いません。

そしてまた、カフェを始めた当初そして今もなお周辺から言われることベスト1位は
「お母様の意志を受け継いでやっているんだね。」

これも私は複雑な気持ちになりました。
たしかに、母がカフェをやりたかったのは事実だけど、私自身もやりたいと思ったから始めたわけで…。母のことにフォーカスを当ててもらえて嬉しいような、でも私はそれだけじゃ…的な。

こういった文脈の記事が多いです。ディスってるわけじゃなく、私としては受け入れるのに時間がかかりました。

だから上記2つのベスト1位ワードを聞く度に心の中では
「で?」「だから何だというんでしょうか?」

なんて、穿った見方をしておりました。すみませんでした!!!!
そういった背景があるからこそ取材していただける、話題にしていただけるという事実も含めて腐ってました。

母の話はいろんなメディアでお話させていただいています。
ちょっと気になる、という方はこちらを参考になさってください。

【商いのコト】北極星のような道標でありたい。世界中から人の集まる町へ
https://squareup.com/jp/ja/townsquare/stores-cafe-polestar
Meguriwa
https://meguriwa.life/latest/detail.php?id=63

今でこそ理解できる母のこと。

大人になり、母になり、母のことを少しずつ理解できるようになってきました。

「猪突猛進」という亥年生まれの母にはピッタリな言葉の通り、母はとにかく思ったらすぐ動く即行動タイプ。
リサイクルのことを勉強しなければいけないとなれば、デンマークに留学していた徳島新聞記者をつかまえて一緒に自費でデンマークに行き、リターナブル容器が当たり前のスーパーを見たり、工場に行ったり、エコホテルなどを視察。(ちなみに私が初めて行った海外がこのデンマーク視察。小学校3年生の時のことでした。)母が亡くなる2年ほど前には持続可能な地域をつくるためにエネルギーの自給が必要だと考え、ドイツのシェーナウを視察。

また、カフェを始める前には、自身が料理を担当することを考えて朝お弁当を10個くらい手作りし(容器は再利用できるものをくるくるショップで見つけてきてそれに入れてた)役場の方々などに配って食べてもらっていました。
その突飛な行動に驚くこと、怯えることが多々ありました。

そんな母が時折漏らしていた愚痴や弱音。
聞くだけだと怒られるし、なにか自分の意見を言うと怒られるし(笑 
どうすりゃええねんと思ってましたが、今では母がいかに「孤独」だったか分かる気がします。
そして私はただ、手を握ったりハグしてあげればよかっただけなのに。っていうか、顔を見せるだけでもよかったのかもしれない。
今息子を持って、しんどい時に子どもの顔を見たらどれだけ元気になるか、ただただ手を握らせてもらうだけで救われるかが分かるから、子どもとして私ができることは同じ立場に立ってアドバイスしなくちゃ!と張り切ることじゃなかったんだなと思います。

10年が経とうとしています。

母が亡くなったのが2013年なので、あと2年もすれば10年が経ちます。

カフェの地鎮祭の時の写真。2012年4月の様子。やっとこさ地鎮祭できるぜって喜びました。

写真を撮られるのが本当に嫌いだった母なので、葬儀の際の写真も、良い写真がなさすぎて何年か前に取材されたオンライン記事の写真を記事元に確認して使用させていただくほどでございました…。


家の私の作業机の上に飾ってあるこの写真。
母にしては満面の笑みです。いいよ、母さんこの笑顔、奇跡だよ。

最近は息子(6歳)がばーばのことについて聞いてきます。ばーばってなんで死んだん?どんな人だったん?って。
ばーばが今生きてたら、君大変なことになってたよ。「あたしのかわいいまごっ!」って言いながら、あちらこちらに連れて行かれていただろうな…。目に浮かびます。

今日は母の写真を勝手に使ったから、夢に出てこないか心配です。南無。

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コメント1件

  • 阪野 英子 より:

    早いなぁ‼️8年たつんだ‼️
    何にも変われていない私を、ひとみちゃんはどう思っているでしょうか⁉️
    ごめんなさいね。
    輝実ちゃんの向こうに、いつもひとみちゃんを見てしまっている私です。

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