海士町という遥か彼方、遠く離れた島で感じた、自分たちは生物だという根本的なこと。

車のフロントドアが凍てつく冬がやってまいりました。震えております、てるみです。
11月末に海士町を訪れました。そこで感じたことを私なりにまとめておきたいと思います!

海士町という島、まちへ。


上勝町から海士町までのルートをGoogle先生に出してもらうと、車だと9時間くらいだよ、と出てきます。
私は行きは汽車と電車と船を乗り継ぎ10時間、帰りは飛行機と高速バス、それでも10時間かかりました。

島根県隠岐郡海士町(あまちょう)。
日本海に浮かぶ隠岐諸島の島前にあり、1島1町の自治体で人口は2,354人(2015年国勢調査)。
人口の流出と財政破綻の危機の中、無くてもよい、大事なことはすべてここにあるという意味をこめた「ないものはない」のスローガンを掲げ、産業振興による雇用拡大高校魅力化による教育改革など独自の政策を進めてきたことで、今では地方創生のモデルとして全国から様々な人たちが集まり、注目を集めている町です。
後鳥羽上皇が配流された島としても有名で、後鳥羽上皇が元祖Iターンだとも言われています(笑)

今回私はNPO法人ETIC.という団体が主催する「VISON HACKER CAMP」に10月から参加していて、そのフィールドワーク先として海士町を訪れました。同じく参加したメンバーは福島や岐阜、静岡、熊本、沖縄など全国から集まっていて、滞在中は互いの課題を相談しあったり、情報を交換して過ごしました。

海士町を知り、内省する。

海士町でのプログラムは11/28-30の2泊3日での開催でしたが、私は11/27に前乗りして「Entô」というホテルに泊まることにしました。

海士町に新しくできた滞在施設は何を大切にしているのか。
というのを感じたくて、えいやっの思いで宿泊。美術館に泊まっているかのような洗練さと、多くの本に囲まれて感じる図書館にいるような心地よさ、集中できる空間が創り出されていました。

さてさて、実際のプログラムはどういったものかというと、全て記述すると長すぎるので、資料をペッペと貼らせていただきます。

文字が小さくてすみません!
今回は「株式会社風と土と」さんの全面協力のもと、プログラムづくりから現地でのコーディネートまで全てお任せしつつ、内容は一緒に作りましょうというもの。風と土とさんのおかげで、町内のキーパーソンの皆様にお話を聞くことができたり、副町長をはじめ、海士町の町民のみなさんと対話の場も設けてくださったので、なんとも濃密で贅沢な時間が過ごせたと感じています。


隠岐國学習センター。ここで高校時代を過ごすってどんなかな、とイメージしてました。


海士町役場青山達哉さん。海士町出身。26歳にしてこの視座の高さは何なんだ…!ととてもかっこよかったです。

いろんな金言をお会いした方々から浴びて刺激を受け、私はアドレナリンが脳内に出続け、滞在中はずっとハイな状態だったのですが、そこから見えてきたものを、ここからはドバーッと書きますね。

結局はみな、生物だって話に行き着いたのだ。

いろんな人に会い、島の暮らしを垣間見て、上勝町との違いや似ているところについて考えてみる。その中で私なりに立てた仮説ベスト3、いってみよー!

① 海士町の自然のベーシックインカムが、人の心の許容力を生んでいる説。


海士町、まずかなり自然に恵まれています。離島でありながら水が湧き、隠岐島前で唯一お米が作れる。米の自給率は100%を超え、台風の影響もほぼないのでお米が作りやすいのだそうです。そして当たり前ですが、海産物もある。岩牡蠣、白いか。そして隠岐牛もいる。お肉もある。野菜もみんな作ってる。
え…。完璧やん。食いっぱぐれることはなさそうです。それを、風と土との代表 阿部裕志さんは「自然のベーシックインカム」と表現していました。だから後鳥羽上皇もここなら大丈夫って流されたのか?
そしてそういった「食いっぱぐれなさ」が、新しいことに挑戦する土台になっているんじゃないか、外からの人を受け入れる許容力を高めているんじゃないか。人間にとって、安心安全に暮らせる土台って大切。

② 海士町は完璧に見えて、実はまだ機能していない特に2つのことがある説

Day2の夕方、海士の人たちとの対話の時間に向けて、プログラム参加者で話し合う際に阿部さんから参考に、と提示されたテーマが「挑戦し続けられる地域づくりに向けて、いま、海士町ではどんなシステムが機能し、何が機能していないのか?」というもの。これについて考えていくと下のボードのようにいくつか「機能していないのでは?」と、外者だからこそ見えることをが出てきました。

この中で特に私が注目したのは「女性的視点が少ないこと」、「環境面への海士町の姿勢」という2つのこと。

今回ヒアリング等でお会いした方々はみな男性でした。今の時代、女性だの男性だのの違いは大きな問題ではないのですが、言いたいのは「視点が違う」ということ。
これは島前高校学校経営補佐官を務める大野佳祐さんにヒアリングした時にも「(海士町には)女性的視点が足りないですね。」と仰っていて、加えて「今の心地よさを作る女性さ」が視点として少ないと、言葉にされていたことが印象的でした。
男性的なマッチョな経営視点と、日々の暮らしを作る視点。これを意識した時、だから上勝町ではゼロ・ウェイストができたのか、とも思いました。

上勝町では女性が強いと言われています。今年8月に隣町の神山町に視察に行った際、上勝視察団7名のうち1人を除いてみな女性。ゼロ・ウェイストの歴史を見ても、キーパーソンには女性が多く登場します。ごみという日常に身近な所に着目したり、子育ての環境として自然を守ろうとする心はどこか母性を感じます。そんな衣食住や教育に敏感な一方で、経営的な視点が欠けているというのが、昨今の上勝町では言われてきた話。だからこそ、新ゼロ・ウェイスト宣言では、反省も含めて経済循環についての項目が登場しています。

とにかく海士町には、少し日常の暮らしに目を向ける視点、機会を増やしても良い気がしました。というのが、きっと「環境面での海士町の姿勢」にも関わってくるのですが、滞在中、環境負荷やサステナビリティ的な話を聞く機会はほとんどありませんでした。って、それが普通なのかもしれません。私が上勝町で日常になり過ぎているのかも(それも特異点)。ごみは島内で全て焼却処理しているという点からも、豊かな自然環境に恵まれている分、海士町が今後自然環境との繋がりと責任をどう捉えるか、気になります。

そんな視点の違いが2つ目の仮説。違いを生かして、上勝と海士で交流ができるのもおもしろそうです…!

③ 祭りが大事説


今回のプログラム参加者が導き出した一つの答えがこれ。「祭事」って大事だよねってこと。
参加者共通の問いとして「どうやったら組織として、地域として、歩み続けられるのか」というのがありました。これに対して気づいたのは、私達は常に真面目に取り組んできて、真面目だったからこそ苦しくなってしまっているということ。力を抜く場面には力を抜き、また回復して走る。そんな「呼吸をする」という当たり前なことが、忙殺される日常の中、忘れ去られていたのかもしれません。そして呼吸法として、地域には昔から祭事があり、この度に人は日常から離れて、立場や置かれている状況をリセットし、フラットな状態となって、神に祈り感謝し、一緒に楽しむということをしてきました。持続可能な地域、そして自分たちがあるき続けるためには、肩の力を抜き「共同体を感じる体験」をしたり「遊ぶこと」も重要なんだー。

なんだか仕事のこと、地域づくりのことを考えていたのに、いつしか生物の「生きるとは」的な話になってきました。

でも、そこから結構自分の中で納得しまして。
生態系のレジリエンスを向上させようとしたら、生物多様性は必須であると。そうした場合、多様な生物が入り交じるためには常に「撹拌」が必要で、これは地域づくりでいう交流とか入り交じること。それを意図的にシステムとして作り出すのが祭りや、移住交流政策だったりするわけですよね。勝手に自分の中で納得です。あぁ、私達も自然なんだ、生物なんだ、サイクルは一緒だから、無理してもそりゃ上手くいかないわな、的な。

最高のタイミングで。

そんな「生物じゃんか」という自分で感じたことを仮説として持ち始めたタイミングで、めちゃくちゃミラクルなことが起きました。
私が海士町にいる間、生物学者の福岡伸一さんが朝日新聞の取材の一環で上勝町を訪れており、私はお会いできなくて残念だと心底悔しがっていたんですが、突然に朝日新聞の記者さんからメールが来ましてオンラインで話しませんかと。
いやもう最高やん。

ということで、私は海士町から、そして福岡さんはカフェ・ポールスターからそれぞれオンラインを通しての意見交換会が実現したのです。

福岡さんの本を夫が読んでたタイミングだったので、夫は福岡さんが来ることを知ってテンションあがってました。

でね、私は思ってることを全部そのまま話したんですよ。そして返ってきたのが以下の言葉。

「人間以外の生物は基本的にごみを出していない。
環境負荷をかけるようなものを出していないということ。
排出物は他のものの糧になるものだし、有機物だから他者に手渡されて分解されて利用される。

人間だけが利他的な視点を失ってきた。
自分で専有したり、排出行為も自然が分解できないものを作る一方で壊すことを考えなかった。

自然は、壊されることを予定してでしか物を作ってない。
これからは、人間が利他性をどう回復するかが鍵だ。

人間の利他において、「死ぬこと」によって自分の日常を次に、人に手渡すことになる。「死ぬこと」が最大の利他的な行為である。

自然とか生命に堺とか境界はない。人間のロゴスが作り出した概念である。」

もうね、幸せな1時間でした。そしてなんだか、上勝町とか海士町とか、私とあなたとか、言ってることが不毛に思えてきました笑
境をなくし、自分と他との境界をぼかした時に、生態系は正常に循環し始めるー。のかな?

終わりに。

すみませんね、どうも長くなっちゃって。それぞれの仮説はまだまだ探求の途中です。
が、一つ行き着いたのが、上勝町の特徴として日々の暮らしを紡いでいくということが重要であるという認識のもと、上勝という場所で、そして私にとって、日々の暮らしを綴り発信していくのは、ちょー大事。その視点を大事にしつつ、他との関わりを探っていきたい。で、つまりは、この上勝クラシカルも、上勝情報ラジオ「いんぐり ちんぐり」も、上勝町にとってとても重要だってこと!笑

とりあえず勢いでがーーーーと書きました。まだまだ書き足りないですけど。
フェリーの見送りをする小学生の声を聞いて一人号泣した話や、海士町に哲学ってあるのかな?とか、課題とは何かって話、その他諸々ありますんでお時間ありましたら、またどなたか(気が向いたら)付き合ってください。

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