3月11日。
2019年3月11日。
今日で東日本大震災から8年が経ちます。
戦後最悪の震災とも言われたこの出来事はみなさんの記憶にも新しいと思います。
その後も熊本や北海道で大きな地震があり、今後も南海トラフ地震が来るだろうと言われています。
この国は地震大国。
日本のどこにいてもきっと逃れることができません。
今回は私が震災をきっかけに思ったことなど、とても個人的な話ですが記事にさせていただきます。
2011年3月11日。
私は当時、横浜市で保育士をしていました。
地震が起こった時ももちろん保育園で仕事をしていて、自分の身よりも子どもたちの命。と思いながら今まで経験したことのない大きな揺れに恐怖を感じていました。
東北を襲った津波の映像を見た時には、同じ日本で起こったこととは思えず、どこか違う国の震災の映像が流れているのかと思いました。
これからこの国はどうなるのだろう。私たちはどうなるのだろう。そう思わずにはいられませんでした。
しかし、被害があまりなかった東京都市部の復旧は早いもので翌日からいつも通りの日常が始まりました。
計画停電やガソリン不足などはあるものの、テレビやラジオのニュースで東北のことが流れる時に思い出すくらいで、周りの人々はその大きな震災が他人事になっていきました。
同じ日本に住む人たちがこんなにも辛く、苦しい思いをしているのに自分はこれでいいのかと自問自答し、震災から2ヶ月後、東北に向かいました。
私が東北と深く繋がることになったのはこの時が始まりでした。
初めて宮城県気仙沼市を訪れたのは2011年7月。
震災から4ヶ月が経った頃でした。
その日はボランティアの活動だけでなく、気仙沼の町もゆっくり見てみようと一緒に行った仲間たちと車で港町へ向かいました。
港町で車から降りた途端、私は涙が止まりませんでした。

誰も言葉も発せず、ゆっくりと歩いて見て回りました。
その光景を目に焼き付け、できる限りこの町と関わってこの町が元気になっていくのを応援したい。そう強く思いました。
それからは東京に住んでいる気仙沼出身の方たちが集まるボランティア団体に参加させてもらい、定期的に気仙沼に足を運び、お祭りなど子どもたちや家族が楽しめるイベントを開催しました。
気仙沼に昔からある町のお祭りにも参加し、地元の踊りを一緒に踊ったりとどんどん気仙沼との関係が増えていきました。

気仙沼みなとまつり”はまらいんや”
Re:us気仙沼のみんなとはまらいんや踊り、海上うんづらは圧巻
2012年に私は保育士を辞めて、写真の専門学校に通うことになりました。
写真を学びたいと思ったきっかけの1つに、この震災がありました。
東北に行くようになってから現地の様子を1人でも多くの人に伝えたい、みんなにこの震災を忘れないでほしいと思ったからです。
入学してみると、偶然にもこの学校に東北の写真を撮って東京をはじめ多くの人に伝えようというサークルがありました。
このサークルでは以前から気仙沼にも行っていたようで、迷わず私も参加しました。

気仙沼の方々に取材させていただき、その方の大切なものとポートレートの写真展
こうしてボランティア団体として、サークルの活動として1年間に数回は気仙沼に通うようになりました。
行くたびに変わっていく気仙沼の姿についていけなくなることもありましたが、気仙沼の方々がまるで「おかえり」と言ってくれているかのように毎回あたたかく迎えてくれ、私にとっては第二の故郷のような場所になっていきました。

高台工事が進む気仙沼(2014年)
震災から8年がたった今。
どんどん風化してしまう震災ですが、毎年この日を迎えると初めて気仙沼の港町で見た光景が目に浮かびます。
私は8年前の今日のことを決して忘れず、あの日から始まった出来事や人間関係をこれからも大切にしていきたいと思っています。
上勝町に来てますます東北からは距離が離れてしまいました。
それでも気仙沼の方にサンマを送って頂いたり、

サイコーに美味しいサンマ!気仙沼のサンマは日本一!
お誕生日にはメッセージを送ってくださったり。
女川町でお茶屋さんを始めた友人の美味しいお茶を上勝のカフェで取り扱いさせて頂いたり。

OCHACCO という女川町にある日本茶フレーバーティーのお店
気仙沼ではお茶を飲みながらおしゃべりを楽しむことを「お茶っこ飲み」という
それぞれが少しずつ変化する中でも、繋がりがあるということが私はすごく嬉しいです。
あの日起こった出来事は確かに辛く、悲しいことです。
原発の問題は今でも残っているし、解決していないことはたくさんあります。
でも、あの日震災が起こらなければ私はこんなにも東北に思いを寄せることもなかっただろうし、こんなにもたくさんの温かい人たちと仲良くなることもなかったかもしれません。
震災は私に多くのことを気付かせてくれ、たくさんの経験をさせてくれました。
遠く離れてしまっても今も気仙沼を始め、東北のみなさんが元気に過ごしている姿に元気をもらいます。
これからも東北は私の大切な場所です。

最後に。
私が写真の専門学校で所属していたサークルの写真展が本日より開催されるようです。
お近くの方はぜひ、足を運んでみてください。
8年経ったからこそ感じるもの、見えることがきっとあるはずです。




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