1年に1度の大切な日。
寒いかと思えば暖かく、暖かくなったのかと思えば冬に戻ったかのような寒さ。
見事に気温に翻弄されています。
13日の金曜日、本日も上勝クラシカルをお送りします。
昨年は3月11日がちょうどクラシカルの配信日でたまたまその日の担当が私だったので、東日本大震災の記事を書かせてもらいました。
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今日の記事は何にしようかと考えてみましたが、やはりクラシカルでも1年に1回は震災のことに触れておきたいなと思って、今回も震災に関する記事を書かせていただくことにします。
(毎年たまたま3月11日付近のクラシカルの日が私の担当になるというのも運命かもしれない)
昨年の記事にも書きましたが、東日本大震災が起きた2011年3月11日の約4ヶ月後に初めて宮城県気仙沼市を訪れてから不思議と気仙沼の縁が繋がり、ボランティア団体や学校のサークル活動などで何度も東北を訪れました。

東北では毎年3月11日に3本の光が空に向けて放たれます
昨年はそのボランティア団体のボスでもある気仙沼出身のゆりえちゃんが上勝町を訪れてくれました。
上勝町内の案内をしたり、もちつき体験やいろどり農業体験など(若干私の押し付けもありましたが…)様々なプログラムをご用意させてもらいました。

地元のおばあちゃんと餅つき体験
おそらく楽しんで帰っていただけたと思います。
こうして、遠く離れてしまってなかなか会えなくなっても、繋がっていられる縁ができたのは震災のおかげです。
東北の方たちには怒られるかもしれませんが、震災が遺したものは悪いものだけではなかったと思っています。
震災をきっかけにできた縁は、ただの縁よりも強く深いものになったし、自分自身の考え方や見方も変わりました。
これは震災が起こらなければなかったものだし、私にとっては良いことでした。
でもそれは自分が被災していなくて、家も無事で家族も元気で生きているからそう言えるのかもしれません。
私たちが今、当たり前だと思っていることが当たり前ではなくなるかもしれない。
毎日家族や友人に会えるのも、学校に行けるのも、仕事ができるのも、毎日のことだと嫌になったり喧嘩をすることもあるけれど、それが当たり前じゃなくなるときがくるかもしれない。
毎日報道されるコロナウイルスのことを見ていると、震災と共通するようなことが起こっているなと思います。
目には見えないものに脅かされ、今まで当たり前だったことが当たり前じゃなくなる。
それはいつ誰に訪れるかわかりません。
私は3月11日が来ると毎年、当たり前に元気に生きられていることに感謝をします。
本当は常に思っていないといけないんだろうけど、どうしても日々の暮らしの中では忘れてしまう。
だからせめて、この日だけは震災を思い出し、いつも元気でいられることにありがとうを伝えたいと思います。
9年が経った今でも故郷に帰れず苦しんでいる人がいます。行方不明で見つかっていない人がいます。
復興とは何をもって復興というのか…。
東日本大震災で被害を受けた方たちに一刻も早く、幸せな暮らしが訪れますように。
そして、亡くなられた方たちのご冥福をお祈りいたします。




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